日本一誇る餃子の町、宇都宮駅南口から左手に向かう徒歩1分の場所に温かいオレンジ色の宇都宮腰痛院の看板が見える。
小さな腰痛院の中をのぞくと、全体的に真っ白をベースに清潔感あふれている店舗に、待合室の壁には満面の笑顔が溢れる患者さんの声がずらりーと澁井先生の実績を誇っているのだ。
さて、
誰にもニコニコ微笑む澁井先生の原点は一体どこからきたのか?
◆ 幼少期
中国の東北地方、冬は平均氷点下20度の町、黒龍江省。
稲田んぼに囲まれ、清水が静かに流れる小さな田舎で、
祖父母、両親、姉1人、弟、7人の大家族で暮らした。
後継ぎ息子を望む田舎で長女に続いて次女で生まれてきた澁井。
祖父はガッカリして顔も合わせてくれなかったそうだ。
10歳の時、交通事故で腰と肩の痛みに苦しんでいる母に、毎日もみもみマッサージしてあげると
「ありがどうー」
「幸せだよー」と母が笑顔でほめてくれる。
そんな母の笑顔を見て将来、多くの人の役に立つ仕事に就きたいと思った。
◆ 結婚・出産
18歳で北京のレストランで働いて、23歳の時先輩と結婚してまもなく息子が生まれるが、家族三人で暮らせる住居が見つからず、仕方なく澁井は息子を連れて実家に戻り、子育てに専念することにした。
実家に戻ってから夫婦の生活がすれ違い、気持ちのすれ違いが続き、1年後には生活費ももらえず、夫は行方不明になった。
◆ シングルマザー
ある日息子が夜中に高熱で病院にかけこんだ。
中国では前金制だが、財布には5元(日本80円)しかなかった。
「先生、先に見てもらってもいいですか?」
「明日必ず持って来ますよ!」と涙ながら頼んだ。
「明日で大丈夫ですよ!」と優しい先生はご親切にみてくれた。
それ以降、夜になると「息子がまだ病気になったらどうしよう?」と不安な毎日、、、
そして、澁井は仕事しようと決意した。
あちこちで仕事を探していた時、電柱で日本留学のチラシが見えた。
「これだ 日本に行こう‼️」と決意した。
子供の頃から日本の漫画【一休さん】【山口百恵】のドラマなどにはまり、「素晴らしい日本に行きたいなー」とずっと思っていた。
◆ 親子離別
子供と離れ離れになった事はない親は理解できない辛さを痛感したが、長男の将来を考えて、、、
「ごめんねー!早く迎えに来るから待っててねー‼️」と涙ながら長男を母親に預けて、成田行の飛行機に乗った。
離陸前、窓を眺めている澁井は、胸を裂ける辛さで声も涙も出てこない、、、、、、
この親子離別は何と18年の歳月を迎えるとは、澁井は想像すらできなかった。
◆ 留学・再婚
26歳で日本に留学して来た。日本の生活はドラマのような理想とはほど遠い、苦しい現実が待っていた。
家賃・授業料・借金返済の為に、午前は日本学校・午後は整体院・夜は居酒屋で必死にアルバイトをした。
その時、アルバイト先の整体院で、とても優しい方に出会い再婚した。
◆ 開業からどん底へ
旦那の転勤と共に澁井は茨城県に整体院を開業した。
オープンと同時に繁盛して、多くの方々に恵まれ、澁井の施術に感動して・・・そして現在に至る・・・と
残念ながら思うようにはならなかった。
「先生、膝痛いけど、なぜ正座出来ないんですか?」と尋ねてくる。
「腰専門なので膝は分かりません」と答えた。
穴があれば入りたい気分だ、、、‼︎
「開業だけすれば自然に繁盛する]と勝手に思っていた。
5年後には店舗の更新料が払えず、店舗をたたむことになり、借金だけが山ほど増えたのだ。
◆ 生と死
ある日、澁井の右胸元に硬いシコリをを感じて、病院に向かう。
精密検査後、先生からは
「1人で来ましたか?」
「乳がんステージ1」と宣告された!
心臓がトグントグン、、、、、、と耳元で高く鳴る‼️
担当先生の説明が一つも耳に入らない、、、
「なぜ?私が?信じられない⁉︎」
「私、死にますか?」と澁井はやっと声を出して聞いた。
「早速手術して抗癌治療をすれば大丈夫ですよ!」と言われたけど、、、
どうしてもこの現実を受け止める事は用意ではなかった。
手術当日まで1日の時間がとても早く貴重に感じた。
「私は一体何のために生まれてきたのか?」
「生きることとはなに?」
「あと何回さくら花を見られるだろう?」考えるようになった。
澁井家族の見守る中で、無事に手術を終え、抗癌治療の1年間が経ち、やっと普通の日常生活を送るようになった。
◆ 愛しい息子と再会
18年の歳月を経ち、中国から息子が澁井と再会する為に成田行きの飛行機に乗る。
国際第2ターミナルに向かう澁井は、
「私を許してくれるかなー⁉︎」と
落ち着かない気持ちを抑えられず、ペットボトルのお水をカブカブ飲み込んでいる。
「ママー僕だよ‼︎」と微笑んでくる息子を迎えた澁井は驚いた!
身長180cm ジャニーズアイドルかと勘違いするほど、カッコよく立派に育った息子を目の前に、
「うんうん、、、ママごめんね‼︎」と涙こぼしながら息子の手を強くにぎり背中をなてる、、、
◆ 運命
手術後、右腕から指先まで痺れ、右臀部から右足指までビリビリ走る坐骨神経痛で夜も眠れなかった。
地元であちこちでみてもらったが、しびれはなかなか改善せずに、悪化する一方で辛い。
その時、友人の紹介で東京で有名なゴッドハンドの先生にみてもらい、半年後にはしびれがなくなり、
夜もとても楽に眠れるようになった。
「今度は私と同じように苦しんでいる人の為に役に立ちたいと思うので、ぜひ私を弟子入りして教えて下さい!」と先生に頼んだ。
ご縁をいただき師匠の厳しい指導を受けながら、研修で治療に一生懸命にがんばるけど、、、
「先生、まだ痛いですー!」
「後どのくらい通いれば治るんですか?」などの質問にだんだんと自信がなくなった、、、
「私は本当に治療家になれる?」
「やめようかなー⁉︎」と落ち込んでいる澁井に
先輩から
「失敗を恐れるな」
「実は私も新人時代に、同じことを経験して今日まで来たんだよ!」
「失敗を経験せずに、成功する人はいないんだよ‼️」と優しい言葉をかけてくれた。
入社 1 年後、
「先生、すごーい‼︎ 足の痛みと痺れがなくなりましたよ!」
「先生、朝スッキリ起きるようになりましたよ!」
「先生、ゴルフできるようになったよ‼︎」と
次々と感謝の声をたくさんもらい、整体の資格を取得して卒業した。
◆ 開業
令和3年、遂に念願の一人治療院宇都宮腰痛院を開業する。
「先生、美味しい餃子屋さんもたくさんあるし、宇都宮駅南口から徒歩1分なので、近くて通いやすい場所ですね」と言われる。
「そうなんですよ!私もこの場所が大好きなんです。」澁井も嬉しそうに笑う。
「それと患者さんはね、家族なんですよ。」と澁井は言う。
「患者さんが上とか、私が上とか関係なく、1対1の人として向き合っています。まあ、言いたいこと言ってますけどね(笑)。
楽しみにして施術を受けに来てくれるし、私も楽しいです。本当に素晴らしい方たちに恵まれて幸せ者です。」
「これからも、恩返しをしていきたいですね。私ができる恩返しは、健康な体を維持してもらうことだけではなく、その人の人生をゆたかにすることであり、一番、患者さんに必要なことだと思います。」
「地域貢献して患者さんの人生を、ずーっとサポートしたいと思っています。
◆ 患者さんは「家族」
家に帰れば本当の家族、義理父母と旦那がいる。
家族のために仕事に燃え、毎日がんばっている一方で、「家族」という患者さんたちの人生をサポートすることを生業としている。
「改めて考えてみれば 、わたしは家に帰っても院に来ても「家族」に囲まれているんだなとつくづく思う。
そして、それがとても幸せなことだと日々かみしめています。」
今日も痛みで悩んでいる新しい患者が、宇都宮腰痛院の扉を開く。
それを澁井は最高の笑顔で迎える。
患者さんは澁井を目の前にして、笑顔を返しながらも戸惑いを隠せない。
「今日からこの方との人生が始まるんだな」と、澁井はワクワクしている。
不安を笑顔に変えるのは、澁井の得意技だ。 今日、来週、そして 1 ヶ月後、、、
この患者はきっと澁井にこう言っているだろう。
「先生に出会えて本当によかった!」
「毎日が前向きになり楽しいです!!」
これを読んでいるあなたも、「私もこんなふうに人生がよくなった!って 言いたいな」と感じたなら、宇都宮腰痛院をぜひ訪ねてほしい。
常に新しいことにチャレンジしては失敗している澁井という治療家に会ってほしい。
きっとあなたの悩みは、間もなく笑顔に変わり、解消されるだろうから、、、、、(^ ^)